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焼津神社大祭 「荒祭り」

東海一の荒祭りとして有名な「焼津神社大祭」にはどのような歴史があるのでしょうか。はじまりから現在に至るまでをご紹介します。

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荒祭りの神輿を担ぐ様子(写真提供:「づ」製作委員会)

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焼津が誇る東海一の荒祭り!焼津神社で毎年8月12日~13日に開催される、地元の皆さんが勢ぞろいする焼津神社大祭です。略称「荒祭り(あらまつり)」として親しまれています。

メインイベントとなる神輿渡御(みこしとぎょ)は、焼津神社を朝10時に出発してから午後11時ごろまで、焼津市内に点在する4つの御旅所を回る祭事。6.5kmもの距離を千人以上の規模で、「アンエットン」という威勢のいい独特の掛け声とともに神輿を担ぐ様子は圧巻です。

そんな荒祭りの概要から知るとより楽しめる背景までを、焼津神社の宮司を務める鈴木啓央さんに伺ってきました!

東海一の荒祭りの歴史

焼津神社の宮司、鈴木啓央さん

焼津神社ができたのは西暦409年、古墳時代にさかのぼります。奈良時代になると租庸調が始まり、焼津は漁業を活かした特産品を納入していました。この背景などから無病息災、疫病鎮護といった意味合いを含んだお祭りが神社でおこなわれるようになりました。つまりは、祇園祭。江戸時代まで焼津神社における大祭は「祇園さん」と呼ばれていたそうなんです。

以降は漁業の技術の進歩などにより、焼津では漁業関係者の人口が徐々に増えていきます。生活の様子は年月とともに大きく変化し、それが影響してお祭りの様子も様変わりしていきました。するといままで以上に疫病鎮護の意味合いが強くなり、江戸の元禄のころには「荒祭り」の原型となる形が出来上がります。

荒祭りの神輿は伝統を守る地元民に支えられている!

荒祭りの様子(写真提供:「づ」製作委員会)

漁業によって様変わりしたいまの荒祭りについて、その影響がわかりやすいのはお神輿です。荒祭りで使用される2基のお神輿は、屋根と胴体を繋ぐ棒が赤い綱で縛られています。ここに焼津の漁師が船上で磨いたロープワークの技術が詰まっており、縛るときはガッチリと、解くときにはサッと解けるようになっているのです。

しかし船の近代化によっていまの漁師が全員、このロープワークの技術を身に付けているというわけではありません。それではどうしているかというと、縄を縛るための団体「大まわし保存会」がいまに伝えています。2017年現在で30~40人いるこの保存会は、70~80代が顧問、60代がメイン、30代が見習いとして、いまの時代に伝統の技を引き継いでいるのです。

地域のつながりで成り立つ荒祭り!

焼津のまちを大勢の人が歩いている様子(写真提供:「づ」製作委員会)

荒祭りが開催される8月12日~13日は、世間でいうお盆の時期です。県外に出た地元の人たちも、お祭りのために帰ってきて参加するのだとか。参加人数は正確には把握していないそうですが、1基のお神輿につき担ぐ役が12人いて、その一人ひとりに野次馬と呼ばれるお手伝いが50~100人は付くとのことです。

お神輿は2基あるので、単純計算で最低でも1200人、最大で2400人もの人々が神輿渡御をしていることになります。ほかにも御旅所にて神輿渡御のみなさんをもてなすお母さんたちや、一般の観光客を合わせるといったいどれだけの規模になるのか・・・。

焼津の歴史とともに歩んできた荒祭りの伝統を理解した上で、地元の方も観光客の方も、荒祭りに足を運んでみてください!

焼津神社の境内の様子

焼津神社

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まちかどリポーター:まちリポ事務局

まちリポ事務局

焼津の魅力を発信する有志のリポーター「焼津まちかどリポーター」の運営事務局。
「旬」な焼津のヒト・コト・モノを発信するべく、まちかどリポーターにさまざまなサポート・支援を行っている。

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ページ更新日:2017年6月13日